「なんでもないことですが、なんでもないことが重要です。」


(蜜柑の木の話)
アパート前の蜜柑の木がすごいことになっています。しばらく前まではすぐそばに平屋
が建っていまして、そこの家の木だと思っていました。この家のおばさんとは会えば挨
拶をするくらいのご近所さんでした。いつか星がすごかった日に「あれがベテルギウス
でね…」と星の説明をして頂いたのですが正直どれがどれだか分からないまま聞いてい
ました。詳しいんですねと言ったら驚くほど照れていました。おばさんくらいの年齢に
なったら星も教養なのかと思って少し羨ましかったです。
ですが平屋が取り壊されてしまい、おばさんも何処かへ引っ越して行かれました。私が
たまたま引っ越しの場に居合わせなかっただけなのでしょうが、ある日突然おばさんも
平屋も跡形も無くなっていました。ですがこの蜜柑の木だけは平屋が更地になっても残
ったままでした。

毎年この木は立派な蜜柑をつけるのですが、その実をぼとぼと地面の上に落として行き
ます。誰に食べられることもないのですが、その実が地面に帰って行くのはとても当た
り前のことで、むしろその循環を邪魔したくないと思うほどの見事な落下を見せてくれ
ます。べつに蜜柑は人に食べられるために生えている木ではないんやなと、これを見て
いると思います。当たり前に腐り、当たり前に風化して地面に吸い込まれて行く。誰の
ためでもなく立ち続けられる木を見て、植物は決して犬猫のように人間のペットにはな
り得ないのだと思いました。あのおばさんがいなくても蜜柑の木は生きられるんです。
いつもヒト目線でものを見てしまいますが、蜜柑とは生きる感覚も時間もなにもかも違
うんやなと思いました。





(クモの背中にアクリル絵の具の話)
しょうもない現実に救われる時があります。数年前私が最大級に病んでいたとき、家グ
モの背中にアクリル絵の具で色を塗ったことがあるんですけど、その時に急に「あ、蜘
蛛って逃げるんだな」と思い出しました。筆を近づけるとクモは背中で危険を感じて、
さささっと逃げてしまって、私が思っていたように色を塗ることはできませんでした。
病んでいる時ってホントに自分の内側ばかりに目がいくようで、「私の世界に誰も入ら
ないで!」状態だったらしくて、クモが逃げることさえ失念していた私は、逃げられた
くせにおかしくて笑い転がってました。クモ一匹、私の思い通りになんかならないこと
が、当時は救いだったんです。

って三月にこの話を何度かしたんですけど、一向にうまく伝わりません。多分「私が最
大級に病んでいたとき、蜘蛛の背中にアクリル絵の具で色を塗ったことがある。」とい
う一言で相手をどん引きさせて先に進めないんでしょうね。後から何言ってもこのイン
パクトに勝てないみたいで。なのでここに書いておきます。





(Hの話)
Hは大学の後輩なのですが、去年から休学していた女の子でした。女の子と称するには
かなり男前な性格なんですけど、とにかく彼女の現状が分からないまま一年近くが過ぎ
ていました。共通の友人から「とりあえず元気は元気だって」とだけ聞いていたので、
そんなに心配もしていなかったんですが、三月の半ばになんと再会することができまし
た。結局今のところは退学して、また違う大学に通うそうなのですが大学に対して「次
はあそこに用事があるんです」という言い方がなんともHらしくて恰好よかった。

けれど彼女は私が知っていたころより一回り小さくなっていて、「筋肉が落ちただけで
すよ」と言われたものの前のパワフルさを懐かしく思ってしまいました。「今日久しぶ
りに人と話して、ああ、話していると思った」なんて言い方も彼女らしくなかったけれ
ど、私は変わろうとする彼女を止める術を思いつけませんでした。何かを新しくはじめ
るときは、何かの終わりの後にやってくるものですから、人はだいたい孤独です。その
孤独さは彼女に似合わなかったけれど、もう道を決めてしまった彼女の横顔はHそのも
のでした。
だからせめてその孤独がしょっぱくなりすぎないことを願いました。孤独は塩のような
もので、彼女の孤独がおいしい塩のように、きりりと役立つ時が来るように願いました。