先々週の日曜日は母方のじいちゃんの七回忌でした。少人数で身内しか集まらないとい
うことで私服でいいかと思って帰ったら「せめて黒い服で」と母からポロシャツを借り
ることに(
まさかおっきく鋏がプリントされたTシャツで行くつもりだったとは言えない)
ものすごく暑い日の中フォーマル・カジュアル入り乱れた謎の家族のできあがりです。
じいちゃんの家に着くと、おじさんが緑茶とお茶菓子を出してくれる。このおじさんがま
た謎な人でしてね、鬱で仕事をドロップアウトして以降何をしているのかよく分からない
のですが、このお茶がとにかくすごくおいしい!そしてお茶菓子のセンスも素晴らしい!
そして親孝行者なんですよ。人との関わりは得意じゃなさそうですが、彼なりのバランス
をとっていて、心配にはならい人なんですよね。なんでか。
さて、いざお経がはじまったころ、仏壇に向かってお経を唱えるお坊さんの後ろで(
お焼
香に火が着いていない!)と身内全員で目配せ。手を合わせるのそっちのけでお焼香をぱ
たぱた仰ぐ親族。いかにお坊さんに気づかれずに速やかにお焼香に火を着けられるかとい
う番犬ガウガウ的なゲームになっていました。じいちゃんごめんね。
お坊さんはとにかく「歌がうまい」方でしたが、一方的に話すので話し上手とは言い切れ
ませんでした。ですが、紹介してくれた御文の中の「されば、朝には紅顔ありて夕には白
骨となれる身なり。」という一説が印象的でした。訳文には「朝には紅かった顔も、夕暮
れには亡くなっていることもある」とあり、無常を唱う仏教らしい言い回しなのですが、
この言い方が私には救いのように見えました。亡くなるっていうのはいつかではなく、い
つでもというのが本当なんだと思っていたからです。
そしてじいちゃんは甘いもの好きが知られていたため、来られなかった親族から送られて
きたお供え物がすごい!バレンタインか!
さらにばあちゃんが頼んでくれたお弁当がすごい!
(ここでお茶菓子を食べすぎたことを後悔する)
そこから移動して父方のじいちゃんばあちゃんの所へ。りんごを丸ごと一個パイにしたお
菓子を食べる。ばあちゃんが膝を悪くしたこともあるが狭い部屋に椅子が六個もある。話
の途中じいちゃんに突然「
ほんまに健康そのものって顔をしてる!」といきなり褒められ
どうかじいちゃんには私の不摂生は知らずに生涯を終えてほしいと思いました。
そのあと何故か姉の一人暮らしの新居に向かう。予想以上の都会に住んでいて、私には真
似できないなと思う。テレビがないので、じゃあ音楽でもかけようと姉がかけたのがノラ
・ジョーンズの「Don't know why」で驚いた。私と姉ははほとんど趣味が被らないので
すが、これは昔私が借りてきたCDで、なぜか姉の中にしっかり根づいていた。私自身もう
しばらく聞いていなかったのにそらで口ずさんでいた時、急激に「この人と姉妹だった」
ことを思い出しました。仲が良い訳でもなく、思い出の少ない淡白な関係を自負していた
だけに、そんな思い出が潜んでいたことに目の奥が震えました。家族ってこういうの反則
ですよね。離れてから気づくことが多くて、ホントやになります。