いろいろ弁明したいことはあるのですが、まずはこの話の成り立ちから。

8月9月とラブ会やらべーちゃんやらと遊んでもらったときにした話なんですが、小説っ
て「その歳でしか書けないものがある」んですよね。これは文章に限らず絵とか、もっ
というと例えばダンスとかにあると思います。「そのときにしかつくれないもの。」

私はこの感覚が特に文章において顕著だと思っていて、たとえば十代のときに書いたや
つとかちょっとだけ残ってるんですけど、上手い下手はいったん置いといて
今やったら絶対書かれへんこんなん!
と思うものばっかりです。もうほんとね、五年前の自分とかすごいですよ。気持ち悪い
ですよ。あんなんもうほぼ他人やと思ってます。若いときに書いたのって今見ると
「こ、こんな恥ずかしいこともうよう言わん!」
「なんでこの文脈でこことここ繋がると思った?!」
「急展開すぎるやろ!」
とかもう突っ込み放題になるんですけど、でもその恥ずかしさにも増して思うのが、こ
れは本当にこの時にしか書かれへんもんやってんなあという感慨深さすら覚えるような
あれです。

で、確かそのときに「もう高校生のときの感覚にはもどられへんよね」って話もしたん
ですよ。こっからはぱんちゃん談なんですが
「高校生のときはね、グレープフルーツをぎゅううううって絞った感じやった。絞った
グレープフルーツと、その搾りカスやった。」
そうな。まあこれはあくまでぱんちゃんの例えですけど、たしかに高校生のときってな
んか果汁100%!感がありましたよね。
別の言い方すると剣はあるけど盾はない!感じがありました。個人的には。高校生って
剣だけでもがんがんいくんですよ。でも盾ないからめっちゃ傷つきもするんですよ。い
まやったらそんな怖いことしないじゃないですか。一旦盾がつかえるようになると、も
う盾のない状態なんか怖くて戻れないじゃないですか。その盾なし時代が高校生だった
んだな〜と思うんですよ。

多分生きていく中でヒトはちゃんと防御を獲得していくと思うんです。これ以上いった
ら自分がよくないとか、相手が傷つくとかが分かってしまうんですよね。もちろんそれ
がコミュニケーション能力なんだと思います。でもそれは果汁を50%!30%!と薄める
ことでもあって、ずっと盾を手放さないことでもあるんです。そうなるとつらかったは
ずなのに昔が懐かしくて、でも手に入れたものを捨てられないから「もうあの頃には戻
れない」と思うんですよね。
私はもうさすがに高校生の頃の感性はもってませんがそれでもまだ果汁80%!くらいで生
きています(ぱんちゃんには「いや100%!だよ!」と言われたけど)。そしてこれか
ら先、果汁が薄まっていくのかと思うとちょっと寂しくてせっかくだから高校生の時み
たいな、いろいろ剥き出しな感じのやつを書いておこうと思いました。そんな感じでで
きたのがスモーキー・センセーションです。なのでちょっと表現に偏見が強かったりと
か、登場人物の思い込みの曖昧な知識とか、いろいろ不確定なまま進んで行くんですけ
ど、そこは高校生に免じて許して下さい。高校生っていうファンタジーなことにしてく
ださい。

あとは、あはんうふんなR18を期待した人がいたらごめんなさい。そういう意味では全
くエロくないのですみません。
そして表記してないのですが、若干の百合要素あります。でも百合スパイスが隠し味的
に入っている程度なので、決して百合を期待しないでください。ほぼほぼ裏切りますか





それから書くときに聞いてた曲をちょっと置いときます。つっこさんの月がなんとなく
イメージにあいました。丁度この前は中秋の名月でしたね。私は満月が怖いのでそわそ
わしながら書いてました。月の影響か、途中タイトルがスモーキー・ムーンライトにな
ったんですが、満月が過ぎるとまったくそんな気分じゃなくなってしまったのでもとに
もどりました。夜のテンションは宛にならないです。
でもこの話は6割くらい夜中の3時に書いてる文章なんで、夜のテンションじゃないと書
けなかったことが詰まってます。
あとは夏の終わりということで山.下達郎の蒼氓もめっちゃ聞いてましたね。これは夏
の終わりを噛みしめるように聞くので、時期的なものが被っただけかもしれない。あと
最後の方はく.るりのricochetを一番聞いてました。
しばらく文章書くのは無音派やったんですが、最近は音あるのもなかなかいいですね。
ちょっと曲にひっぱられすぎることもあるので善し悪しですが。