ブランケットからはみ出たはだしのうらがわで、暖房の空気につめたさが混じってとおったのを、片目だけで追いかけてから、銀髪がわざとらしくあきれて傾く前に、指でおさえていた本のページに戻した。ちょうど、桜が咲くという表現が日本においてはあたりまえの春だといっても、ある海外ではたかが花のことが毎年トップニュースになる国がすごく妙ちくりんでなんならちょっと笑えるほどおもしろいというなんかそんな感じの印象らしいみたいな文に、はあ、へえ、とうごかす気だるいまつ毛に前髪がすこし落ちたところで、そのすきまから、坂田がじゃっかん非難がましく缶ビールを二本テーブルに置く手はかすみつつもはしに見える。こいつも俺もむかしは素直にうすピンクのクレヨンで花びらぬってたのに何で俺がいつまでもいつまでも他人のためにこんなかたっくるしい格好をして(ああなのにひげもそってない)時間は宇宙の法則だよなあ・・・体温をとじこめた毛布のうちっかわで、襟のボタンとネクタイにしめられた首を左右に二回ずつ動かした。それから、ティッシュで鼻をかむ。テレビでは、土曜プレミアムでボーン・アイデンティティだかスプレマシーだかがやっていて、とつぜん爆発した画面を坂田が2秒ほど見たので俺も見た。シーンが変わり、空調がゆるいなかでスーパーの袋の音と俺がページをめくる音がまたうるさくかさなる。
「土方。俺は昨日注意&アドバイスしたはずだぞ」
ため息と一緒にチーズを取りだしこちらへ細い目をむけた坂田が、器用にすこしひらいた漫画の単行本へふと移して、「しまったこれ新刊じゃない」と独り言をはさんだ。
「どの話。俺がブランケット二枚がさねする話」
毛布のなかに足をなおし、だらり髪がちった額を床でする。
「お前はぜんッぶのブランケットをけっこうな頻度でたいっがい1人で占めてるけど、それはまた別としようか」
「ブランケットじゃなくてマイクロファイバー毛布とか他の呼び方しろ」
「なん、・・・なんで」
「お前みたいな男がブランケットっていうのがなんかいっつも釈然としない」
「うんどうでもいい。その話じゃない」
お前が立ったままてきとうに量を調節しながらチーズをさいてる努力こそどうでもいい。丸めたティッシュの感触があたるまぶたのみをあげる。チーズでふくらんだ口にさらにビールをふくんで喉ぼとけを一回上下させた坂田が、「んん」と手の甲のうらで息をはき、ついでにほんのすこしのあわれみもふくみはじめつつ、こちらがふたたび視線を落としたフローリングにくつ下の足音がつたわって近づいてくる。それよりこの角度からみると、ほこりがよく見えるぞ・・・とおもう。そばでしゃがんだ坂田が無言の圧力で見下ろしてくる横目に横目をあげた。・・・そり残したひげがあごの左がわで、蛍光灯のひかりにうすい、なぜか天使みたいなものはそういうところを通るとおもう。洗剤のCMが陽気で、マイクロファイバー毛布はあたたかく、暖房がゆれて、カーテンがひらいたままのベランダにうす黄色い部屋の坂田がとうめいにとけて映っている、そういうものはかなしい。エアコンの風に坂田の毛先がなびいたあと、チーズを噛みながら後ろポケットから出した携帯をひらいて俺の方へさかさまに下げた。
「ほら見ろ」
「なに」
「お前の彼氏」
喉奥でうなってから目をとじて、本に額をくっつけた。そこに置いていたコップの水が衝撃でこぼれてひろがり、しいたリモコンで音量が3つあがった。
「そうやって延々教授の結婚式ひきずってると俺が色々聞かれて面倒くさいって話」
「延々じゃない。まだ二日目。あと風邪。お前に言われたくない」
「俺を縛る過去はない」
「じゃあ『恋におちたシェイクスピア』と『Romeo+Juliet』と『ムーラン・ルージュ』をいい加減捨てろ。俺は女が置いてくシェイクスピア関連ロマンスを絶対に許さねえ」
「ムーラン・ルージュは関係ない!」
「どうでもいい、M-1の出囃子がうっとうしい」
頭までひきあげていた毛布のなかで抗議していたのをとうとうはぎとられ、ひょうしに摩擦の静電気で髪がさかだった。さわっと肌にひっついてうすめた片目に、天井と銀髪がにじんで、いっしゅん昨夜の景色がゆるゆるはいりこんだ。夢みたいな白は、ミスチルのどの曲がお気に入りで、雨の日は泣きたくなる性分で、眠るときはうつぶせ派、とか(たとえば)そういうしあわせを知っている。・・・はあ、と坂田が伸ばした右手が、俺の手首をつかみ、しかたなく変にひねった状態で起きあがる。昨夜からほとんど寝転んでいたせいで体が枯れ木みたくいたい。ヤンキー座りでこちらのタキシードのたるみをぴんとひっぱった坂田は、俺のネクタイに指をさしこみほどきながら、頭、瞳へと目をおろし、まぶたをふせて少々笑った。やわらかい髪が笑い声の振動と一緒に近くではねる。
「お前すげーバカみたい」
「うっさい」
しゅるととけたネクタイを首からすべらせて坂田の腕をゆっくり押しやった。昨夜から着たまんまの袖ボタンに自分で手をかけ、脱ぎ捨てたそれらをハンガーにかける。腰に両手をあてて、すこしほぐした筋肉がじんとする。「いいじゃん、引き出物サーモグラスだったじゃん」という声と、ボーン映画の音声が、一度大きく過ぎていったパトカーのサイレン音にしかれて、お互いベランダを見てから、「そこのコンビニ?」「見える?」「万引き?」「事故かも」と結論のない推測とともに離れ、坂田が湯をわかす後ろで、テーブルにつっぷした。
「・・・嫁さん美人だったな」
「お前に似てたよ」
「はあ、サーモグラスってなんだよ」
あほみたいに春はくる。