せっかくの休日が半分すぎたところで、レンタルしたDVDを延滞していることに気がついた。今更慌ててもしょうがないのに、なぜだか急いで部屋を飛び出し、肝心のDVDと財布を置いていきそうになる。ドアを開けてもどかしく靴を脱ぎ、それらを拾い上げて、一度立ち止まり、煙草も持って家を出た。ああいくらになるんだろう。つーか延滞とかしたの始めてかもしれねえな、なんて考える。乗せた煙草は、濡れたくちびるにすこし張り付いて気持ちが悪い。住宅街の隙間で、学校帰りの子供がかくれんぼをしている声がした。もういいかい、まーだだよー、鬼にばれないようにひっそりと交わされる会話の気配。
あれ、そういえば坂田のバカに漫画返してもらってない。延滞料取るか。
「ねえ、ずるいよぉそんなの」
「みんなつかまっちゃうじゃん、ねー」
「ばかやろう、勝負はいつでも真剣にやらねぇとダメなんでィ」
「ほらそうやってすぐじぶんのこと正当化する」
「そんなむずかしい言葉しゃべるな、ガキのくせに」
ぎゃっ。そーごがぶった! そんな叫び声がして、煙草をつけようとしたライターの火がゆらめく。公園のむこうから射し込む光に眼をほそめてから、じっと息をころした。見覚えのある栗色が跳ねる。なんとかフィルターを噛んでこらえて、息を吸い込んだ。ちぎれ雲にかかる、「あっ土方」煙草のケムリ……、ああ。遠くなる。
「土方やーい。そんなとこで何してんでィ」
「……おまえな。人がきもちよくノスタルジーに浸ってるのを邪魔すんじゃねえよ」
「のすたるじい〜?」
無表情で返された。はずかしくなったら負けの様な気がしたので、煙を吐いてごまかす。総悟は子供たちの輪から抜けることなくこっちに手を振ったので、小さなくりくりした目玉たちがみんなだまって俺をみていた。ガキってのは昔から得意じゃない。見つめ返すことができなくて、なんでもないふりをしながら眼を逸らす。ビルの陰に隠れた光をじっと見つめていると、まつげが焼けてしまいそうな気がしていた。その熟れた太陽が撒き散らす橙のなかに、ひとすじの影。
「あ〜、ヒコーキだ」
「ほら、つまかえてみろィ」
「え? むりだよ飛んでるもん」
「つかまえる方法があんの」
沖田は、くちびるをとがらせる子供の頭に、ぽんと手を置く。ガキがガキをあしらっている。沖田は今年いくつになるんだったか。17?18? 自分の年齢すら定まらないのに、だれかの歳なんかおぼえてられるわけがない。沖田はぐうっと手を伸ばし、空にむかってかかげた。
「…ほら、」
つかまえた。沖田は、そのまま拳をにぎりこんで笑う。沖田の瞳にうつっていた飛行機は、あの白い指先と一緒に、手のひらのなかに閉じ込められたのだろう。さっきまで太陽を見ていたせいで、網膜に黒い点が張り付いてしまっていた。だから、沖田の表情がちかちかしたそれにさえぎられる。水色のダウンジャケットから飛び出た、ほそい手首は、そのまま揺れていた。
あ、そうだDVD。くちびるに寄りそう火があつい。煙草の灰は、ぽろぽろ風におちてゆく。
「おい土方、どこ行くんでィ」
「さんをつけろ、デコすけ野郎」
あからさまに変な顔をされた。AKIRAぐらいみとけ、現代っ子が。
「おいお前ら、あのオジサンがジュースくれるってよ」
「わーい!」
「やったー!」
「ちょ、おい!」
さっきまで不審そうにこっちを見ていた視線は、急にきらきらと輝きながらこっちへ寄ってきた。ああだからガキは嫌なんだって。おれオレンジジュース!、と言いながら服の裾を引っ張られても、お前はオレンジジュースじゃねーし、ここにオレンジジュースはねーし。あんまりにも四方八方うるさいので、財布から500円を出すと、わあっと飛びつかれる。なんだそれ。ゲンキンか。現金だ。あ、すげーくだらねえ。
500円を持って自販機に走って行った子供たちの背中をながめてから、煙草を放り投げて、コンクリートでもみけす。携帯灰皿を持ってくる余裕はありませんでした、と心の中で言い訳をして、ふうと息を吐いた。そういえば、あの500円で延滞料払えたかも。まあ、それも、どうでもいいか。
「土方さん、俺パイロットになりたかったんでさァ」
「……こないだはデザイナーじゃなかったか」
「その前のはなし」
総悟はゆっくりと、下ろした手のひらを開いた。その中身をのぞきこんでいる横顔は、まだちかちかしていて、よくわからない。その、女みたいな手から、飛行機が逃げて行くのがみえた。すこし離れたところから、自販機がジュースを吐きだす音がする。がこんっ。がこんっ。いつの間にかこちらを見ていた沖田のしろい顔は、夕焼け色に染まっていた。
(ねえ土方さん、誰が空にこぼしたんだろうね)