【2010年9月】
対岸に先輩がいる。
数メートル離れた先にあるコンクリートの浮き島に、五、六人の人間がいて、立ったり座ったりしながらぐるぐる回っ
ている。彼らは小さな半球体のアクリルで覆われた空間の中にいて、その中で一定のスピードを守りながら動き続けて
いるようだった。

その中に、先輩がいた。
先輩とは私の在学していた大学の先輩で、おなじ授業をとったことがきっかけで知り合いになった。彼は背が低く華奢
な体格で、私がヒールを履くと彼の身長を越えてしまうくらいだった。だが、私は彼がとても好きだった。右手で左手
首をこする仕草だとか、笑うと目がなくなってしまうような笑顔だとか、筋肉質なのに着やせしてしまうところだとか、
彼の空気感に気が付いたら目が離せなくなっていた。でもこの気持ちが恋愛感情なのかどうか、判断がつかなかったた
めに、この気持ちを彼に伝えたことはなかった。

そんな先輩が、どうやら、なにかの宗教団体に入ってしまったようだ。しかも、あのような儀式めいたことに参加して
いるということは、既にかなり深いところまで入り込んでしまっているらしい。私は、なんとかやめさせなければなら
ないと、あちらより数メートル高い、こちらの海岸の淵に立ちながら、そう思った。しかし、私にはどうしても先輩を
助けることは出来そうになかった。そのときの私は、あと数分後に再び宇宙へ旅立たなければならない任務を抱えてい
たからである。現に、いま私が背中を向けている方向には、同じ宇宙船の乗組員や船体が待機しており、既に私を急か
すような声も出始めていた。放り投げるには責任の重過ぎる任務であるし、私の代わりになるような人間を急遽見つけ
ることなんて不可能だ。

私は、とてもとても心苦しかったが、再び座り込んだ先輩の後ろ姿を最後に、海岸線を後にした。