【2012年3月】
某量販店で中途採用の募集があった。大手ということもあり集まった面々、皆なにかの決意が顔に張り付いていた。か
くいう私も、仕事が決まらないと生活がで きない状態にいたので、今度こそはという決意を貼付けた一人だった。し
かし、どういうわけか参加者の中にひとり抜けた女がいた。ここが試験会場という場所で なかったとしたら、人見知
りせず人なつこいどこか天然も入っている彼女の発言はむしろ好意的に思っただろうが、このぴりぴりとした会場にお
いては、あまりにも場違いな発言をくり返す女だった。妙に緊張感のない言葉は、本気で採用を願う私をはじめ、ほと
んどの参加者を苛立たせていた。もちろん彼女に直接難癖を付けるような愚か者は居なかったが、空気は時折重くなっ
た。そんな彼女が最終課題が終わった直後にこう言った。

「みなさんお疲れさまです!私がこの試験の試験官です!」

今までのぼやけた発言からは考えられない程はっきりとした口調だった。「ドラマみたいだ」と誰もが思ったに違いな
い。そして周りを置いてきぼりにしたまま、彼女ははきはきとしゃべり続ける。

「みなさんそれぞれとても個性的でしたが、今回の採用はこのお二人とします!」

そういって彼女は名前を読み上げた。だが名前を呼ばれた喜ぶべきはずの合格者も、まだ現実には追いついていないよ
うで、反応で身体をびくりと震わせただけだった。彼女はとまらず

「おめでとうございます!あなた方は明日から、うちのシェフとして働いてもらいます!」

この量販店にキッチンはない。食品はレトルトの調味とお菓子と少しの飲料だけである。というか、さっきの試験はあ
きらかに接客応対の適正を見るためのものばかりだったじゃないか?筆記と、面接、あと挨拶練習を少し…

「では、お疲れさまでした!」

参加者の疑問をなんにも解決してくれないまま、試験官の彼女は去っていった(自称試験官と訂正したくなる程、彼女
が本当に試験官であるという保証もなかった)。大量の疑問を放置したまま、参加者だけが残された部屋で、一瞬でも
彼女を好意的に思った自分をはげしく後悔した。