陽炎の輪郭



(父の訃報が入った日)
父の訃報が入ったとき、俺は映画館にいた。その日は奇妙なほどはやく仕事が終わってしまったから、たまにはと思っ
て駅ビルのちいさな映画館へ入ったんだ。特に興味を魅かれそうなものはなくて、なんでもよかったから、一番上映時
間の近かったドキュメンタリー映画を選んだ。とは言っても、俺はうっかり開始前CMの時点で眠ってしまったから、ほ
とんど見てないんだけど。だから起きたとき、厳しい顔つきの男が空を歩いていてびっくりした。どうやら綱渡り師の
ドキュメンタリーで、彼は無断で世界各国の有名なビルとビルの間に綱を張って渡っているらしかった。俺が起きた時
は丁度ロングショットで男が映されていて、本当に、人が空を歩いているように見えたんだ。その様が、なんだかとて
もきれいで呆然と見入ってしまったのはよく覚えている。そのすぐあとに携帯が鳴っていることに気がついたんだ。慌
ててとりだすと、既におばから10件以上の着信があって、まあ、なんというか自分のタイミングの悪さにうんざりし
たね。結局その綱渡り師が最後にどうなったのか、見届けることはできなかったから。



(通夜の席にて)
あの人の中にはまた別の父の記憶があるのだろう。あの人は手を合わせて何を思っているのだろう。何度も手を合わせ
るうち、父との思い出がほとんどないことに気付いてしまった。だからもう、フラッシュアニメーションのように何度
も同じシーンをリピートしているだけに過ぎない。淡白な関係だとは自覚していたが、それがどれほどの淡白さだった
のか、父が死ぬまで、俺はまるで気付けなかった。どうして答えが解った時、問題はいつも通り過ぎてしまった後なの
だろう。


(現れた坊さんは旧友だった)
「なあ、知ってるか。念仏ってさ、亡くなった人のためじゃなくて、残された人のために唱えるものなんだ。残された
人がこれからも生きていけるように、励ますためのものなんだ。だから、俺のじゃ不満かもしれないけど、どうしても
って言って親父に代わってもらったんだ。お前の親父さんのことは詳しく知らないけど、お前のことは少なからず知っ
てるつもりだからな。おれが唱えたかったんだよ。」



(後日、友人への電話口にて)
「父さんの死に顔を見た時さ、ああ、人ってやっぱり死ぬんだなって実感したんだ。人間って死んだらほんとに肌の色
が青白くなって、目蓋の皮膚がくっついて、手を括りつけられてないと祈りのポーズも取れなくなるんだな。そういう
ことをさ、知らなかったんだよ。俺。あれ以来、死ってやつが急に身近になったんだよ。自分もいつかああいう風にな
る時がくるんだって思うと、なんか、ちゃんと現実を生きなきゃいけないような気がして。いつも通り朝起きて会社に
行くことや、料理作ったり、洗濯したりとかさ、そういうものの大事さというか強さみたいなものが分かった気がして、
だから、俺は大丈夫だよ。ちゃんと現実を見てるからさ。」








(あんまりに詳細を詰めると重たくなるのでこのへんで)