タクシーを掴まえて乗り込むとラジオが流れていて、知らない歌が流れていた。
I get along without you very well.と子供をあやす、悲しみを含んだ声が歌っている。彼の瞼には何が映っているのだろうか?愉しい記憶、それとも悲しい記憶か。
「なあ、あんなとこから飛ぶって、どういう感じなんだろうな」
土方はちゃんと声を潜めてそう言う。
「それ、おれに聞いてる?」
「当たり前だろ、タクシーの運転手に聞くかよ」
「映画のワンシーンならあり得る」
暗い車内で彼の瞳だけが生気をもって光っている。白く光るそれは何かの呪文のようにおれをじっと捉える。
「あれだけ高い場所なら気絶しながらの落下だ、眠ったまま死ぬのに近い。無意識の狭間で消滅する。」
もちろん例外もある。場所を選ばなければ恐怖と絶叫を味わうが、そんなことを考えるほど冷静ならもっと他のやり方を考えるだろう。つまり、飛び降りというのは何がしかのダイアログが提示されている、と受け取ることが出来る。
「近道通りますね」
運転手が右にハンドルを切った。

 この煙突のある廃墟は元々工場だった。少し歩くと橋があって、そこから向こうが普通の街。不景気と大気汚染の煽りでつぶれ、いまは誰も近寄らないという。
廃墟といってもまだ新しく、今にも稼働しそうな雰囲気がある。立派なツリーのよう。だいたい60階立てのマンションと同じくらいらしい。
「やっぱ、きついな」
「途中で、こんなとこに、閉じ込められるより、ましだっ」
本当はエレベーターがあり稼働させているらしいのだが、閉じ込められるのは絶対に嫌だ、という訳であと10階分、息を切らしながら上がっていく。
「は、しんど」
ドアの前にしゃがみ込んで息を整える。
「開けんぞ」
ノブを回して開くと、風がぶおお、となだれ込んで来て髪が勢い良く揺れた。すこし冷たい。煙突がすぐそこにあって、飛び移れそうだ。
縁には欄干がちゃんとつけてある。
見渡せば、橋の向こうからその先の病院の緑のネオンまで見える。高いと思っていた建物はずっと向こう、ここよりもずっと低い。ここに、本当にちゃんと人が住んでいるのだろうか、と不思議な感覚があった。
「先客だ」
土方がポケットから煙草を出したのが分かった。



つづく