どうやって帰ってきたかは覚えていなかった。ただ家に着くなりそのまま二階に上がって、自分の部屋に閉じこもった。
鍵をかけて制服も脱がないまま布団を被った。なにも考えられなかった。頭はまだ、靄がかかっているように煙たかっ
た。目は開いていたけど、なにも見えてはいなかった。耳もぼんやりとした音を、鈍く拾うくらいしかできなかった。
ちゃんと息を吸って吐けているのかも疑問だった。布団を握りしめる手だけにぎゅっと力が入っていた。
とにかく、呼吸を整えよう。そう思って深呼吸をした。吸えるだけ吸って肺を満タンにしたら、歯の間からこぼすよう
に、時間をかけて身体を空にしていった。何度かそれをくり返すと布団を握りしめていた手から力を抜くことができた。
自分の意思で手が動かせるか確かめるように、指を開いたり閉じたりした。まずは右手、そして左手。指の一本一本ま
で、念入りに試した。自分の手が思い通りに動かせることを確認し終わったとき、呼吸も通常通りに吸えるようになっ
ていた。意識はまだ朦朧としていたが少し落ちついてきた。

そのとき、啓は霞む意識の中で、ふと思いついたのだ。
自分の処女膜を破ってやろうかと。

突飛な思考回路だった。でも啓の手は突然のアイデアに驚いた風もなく、自然に、滑らかに、頭の指示を聞いた。
ゆっくり、左手が動いた。下腹に這わせて、お腹をさするようにしばらく撫で続けた。多分この下には子宮がある。も
ちろん見たことはない。でも、毎月毎月、律儀に排卵しては血を流す。その痛みと不快感とは早数年の付き合いになる
し、これからもずっと切り捨てることはできない。なんて奇妙で、忌々しい臓器だろうか。
憎しみさえ覚える下腹を撫で終わると、啓の手はさらに下の方に降りた。薄い下生えを越えて、割れ目をそっとなぞっ
てみる。啓は今までいわゆる自慰行為というのをしたことがなかった。する必要がなかったからだ。女の性欲は男と違
って目に見えない。だから自分で性欲に気づかないと、そのままなにも知らないでも高校生になれるのだった。男の身
体のことはよくわからないけど、とにかく放っといても溜っていくんだろう?そうして、溜ったら出す。羨ましいほど
わかり易い。女もそれくらいシンプルだったらよかったのに、どうにも女の性欲はひねくれていて、複雑にできている
らしい。
啓の指は迷うことなく動いた。割れ目を何度かなぞっていると、ああ、これだな。と膣の入り口が分かった。この先の
暗闇に触れるなんて不思議な気分だったけど、すっと中指を入れてみる。躊躇いは一切なかった。膣がどれくらいの大
きさの器官であるのか啓は知らなかったけど、指一本くらいはなんの抵抗もなく入るらしい。中指はあっさりと膣に納
まっていた。人間の器官だから筒状になっているはずだけど、幅はどれくらいあるんだろう。啓は気持ちのこもらない
指をぐいっと動かして、膣の広さを中指の感覚で探っていった。自分でやっていることの卑猥さに対して、頭は驚くほ
どの冷静さで妙な感覚だった。自分で自分を、実験動物のように扱っていた。
しばらく、中指で内壁を擦っていたけど、もう一本くらいなら入りそうな気がして、人差し指を増やしてみた。指が二
本納まったところで、やっと変な気分になってきて、少し呼吸が荒くなった。だんだん内壁に熱がこもってくるのがわ
かり、自分の指が内臓に触れている実感が湧いてくると、その背徳感に高揚した。気持ちいいかどうかはまだよく分か
らない。ただただ、異物の体積を狭苦しく感じるだけだった。指を左右に開いてみると、ある程度まで押し広げられた。
けれど閉じると元の狭さに戻るので、どうやらここは想像以上に伸縮するらしい。自分の身体なのにわからないことだ
らけだった。

啓は自分の体内の未知なる器官をしばらく玩んでみたけれど、肝心の処女膜を見つけることはできなかった。
(だいたいなんだよ…。膜なんて、本当にあるのか?)
ばりっとか、ぶちっとかいう決定的な音を期待していたのに、いつまでたっても聞こえてこない。傷つく覚悟はとっく
にできていたのに、一向に血が流れる気配はなかった。ぐいぐい指で強く内壁を押しても、壁に力を吸収されてしまっ
ていたし、膜らしきものに触れることも、ついぞなかった。少しだけ気持ち悪くなっていたけど、まだ引き下がれなか
った。
(私の身体は…、私だけのものだ。護るのも傷つけるのも私だけなんだ…。)
啓は指を激しく動かした。
心にナイフは準備できていた。その切っ先を自分に向けて一思いに殺してしまおうと思っていたのだ。この幼気な処女
を殺してしまおうと。心は人を好きになれないから、自分の処女は自分に捧げようと思ったのだ。心と一緒のところま
で身体も貶めてしまおうと。それで、バランスがとれる気がしたのだ。不健全な心には不健全な身体の方がお似合いだ
ろう?なのに…。
啓の処女膜はどこにもなかった。なんで…。なんでないんだよ。なんで、殺してあげることもできないんだよ…。
「うえっ…。」
嘔吐いた声が我慢できずにこぼれた。とうとう本当に気持ち悪くなってしまって、反射的に膣から指を抜いた。身体か
ら力が抜けてどさりとベットに倒れ込んだ。
「あ…はあ…はあ…。」
自分の荒い呼吸だけが聞こえて、湿った濃い汗みたいな匂いが漂っていた。左手はまだぬるりと湿っていて、はっきり
と生き物の匂いをさせていた。

啓は枕に頭を擦り付けて泣いた。布団を集めて顔を覆って、声を上げて泣いた。早朝に盛っている猫みたいな。まった
く色気のないくぐもった音が聞こえた。そんな風にして泣くのがはじめてだったので、自分の中にいる自分ではない誰
かが泣いているように感じた。自分じゃない誰かのせいにしたら、余計に声が押さえられなくなって、あられもなく泣
いた。自分の心に自分の身体を捧げる啓の思惑は失敗した。

尖ったナイフが真綿で包まれてしまったように、自分で自分を傷つけることさえ啓には叶わなかった。処女膜は見つけ
られなかったし、指を激しく動かしたくらいじゃ膣は傷つかなかった。啓の心と、啓の身体は別物だった。なんにもう
まくいかない。わんわん泣きながら、啓はなぜか、そのことに少しだけホッとしたような自分も見つけた。